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みなさん、はじめまして。湯治女子主宰の菅野静です。

湯治女子・・・、自分が湯治にゲキハマりしたまだ若かりし頃(女子)だった自分を指して勝手に言っていました。

私が湯治に出会ったのは、大手企業に勤めていた頃の海外赴任がきっかけです。彼の地には浴槽はあったものの給湯器がよくなく、お湯を溜めているはなから温度が冷めていき、当たり前のように日本で入っていたお風呂を恋しく思った数年がありました。日本に帰国するたび、お風呂に入ることが何よりのご褒美になりました。はぁぁぁ〜と身も心もほぐれていくお風呂、からからに渇いた喉を潤すように私は体全身でお風呂に潤されたのでした。

外国に住んでいた日本人の私。そとから見る日本やその文化は、日本と外国を対比させてしまうからか、日本に住んでいた時よりも鮮やかに、その輪郭や置かれた状況を見ることになりました。外国に住んでいながら、日本のことをもっと知りたい、私は日本の何を吸収して何を得て、何を知っていたのだろう。そんな気持ちになり、帰国のたびに地元をよりよく知り、出かけたのが近場の温泉旅行でした。

温泉もまた、おうちのお風呂とは違った広さと温かさと、知らない人と湯をともにする一期一会なひとときも緊張したり、逆に和んだり。なになに?湯あたりとか、にごり湯とか、泉質とか、あるんだ?温泉の知識もその程度でした。住んでいる場所とは違う、地元とも違う、なんだかうきうきした気分。旅行って温泉って最高だなぁ。やっぱり私は日本人なんだ。そんな気持ちでいました。

そんなことを数回繰り返していると、ふと思うのでした。どうして温泉に日本人なんだというルーツを思うのだろうかと。そして今こうして入ってる温泉とおうちのお風呂の違いってなんなんだと。

そこから、私の温泉への探究心が芽生えていきました。泉質によって効果が違ったり、色や匂い、味、浴感(さっぱりするとかしっとりするとか)も違うのはなぜなのか、どういう仕組みで温泉ができているのか、温泉を活用した化粧水とか食べ物とかなんなのか、え、飲めるの?食べられるの?そんなふうにどんどんとのめりこんでいきます。温泉のことをもっともっと知りたくなって、ありとあらゆる本をよみあさり、温泉ソムリエ・温泉入浴指導員・温泉観光実践士の資格も取得しました。

そして、数年に渡った海外赴任を終え、いざ日本に本格帰国し、大都会でサラリーウーマンとして再び日本に着任しました。が、居を日本に移して見えてきたものは、高齢化社会と経済の落ち込み、東京一極集中型のしくみだったのです。しかしながら私がいた海外はもっとバブルでいけいけどんどん。日本の首都・東京でさえ、かすんでしまうくらいの海外での勢いの中、仕事をモーレツにやってきた私は、愕然としたのを覚えています。日本、どうなるんだろう。

日本から遠のいていた私は、コンビニで買う缶コーヒーでさえ、道に生えているたんぽぽの花でさえ、そばで愛でたいくらいの飢えようでした笑。懐かしい風景、懐かしい場所、懐かしい文化。私はやっぱり愕然としても日本が好きだし、誇りに思っている自分を発見します。

その日本を渇望していた私は、新しいものよりも懐かしさを求めて、週末や休暇ごとに、地方へと温泉へと事あるごとに旅立ちます。これまでひたすら海外ばかりひとり旅してきたのに、あのころ、日本らしさやアイデンティティを求めていたのだと思い返します。北海道、青森、岩手、山形、宮城、福島、茨城、栃木、新潟、長野、群馬、埼玉、静岡、岐阜、滋賀、石川、大阪、奈良、和歌山、兵庫、島根、愛媛、香川、徳島、福岡、大分、佐賀、熊本、宮崎、鹿児島、沖縄・・・。ありとあらゆる地方都市へひとり旅で出かけました。温泉の源泉や泉質や鮮度などクオリティにこだわるようになり、旅が多くなると旅館やホテルで1泊2食つきのそのおもてなし料理にもう飽きてしまいます。また、当時は週末は2名様から宿泊をお願いしますというようなお宿もまだまだ多かったのです。ましてや女性ひとりで宿泊したいなんて、女性応援プランがある宿も少なかったのです。そこで女性ひとりでも、もっと自由で、温泉を追求できる旅ができないのかなぁとたどり着いたのが湯治宿だったのです。

湯治宿は、このサイトにも書いていますが、もともとは温泉のちからを借りて身体を治癒するためにあるお宿です。ただ上質な温泉を管理し、提供している。おひとりさまが基本。部屋はいたってシンプル。食事も自分の体のためなので基本自炊。お布団上げ下げ・ベッドメイキングやターンダウンもない。荷物運びもない。・・・初めは面食らいましたよ笑。ホテルや旅館のサービスに慣れていたからです。だけど、これって裏返すと、地元の野菜やお肉での自炊も楽しいし、もはや飽き飽きするメニューに自分を合わせなくてもいいわけで、自炊したくない人は近くのお店で地元民に混じって飲食してもいいし、テキトーに済ませたいならカップラーメンだって食べちゃえばいい。お布団上げ下げないのだから、部屋に立ち入られることはなく、何かに集中したり、ぐだぐだ〜っといつまでも寝たりもできてしまう。超絶自由な旅じゃないか!!!と。

都会でばりばり働いて、また地方の湯治宿でまったりとする。これが私のもはや栄養ドリンクのようになり、いいサイクルになり、オンもオフも素晴らしい相乗効果を発揮してくれました。働くのはやっぱり疲れが伴います。ストレスも溜まります。だから休みの日はそれを手放してリセットして私らしくあるための時間が、温泉・湯治になりました。もはや観光地など目もくれず、湯治宿へ一目散。チェックインできる最速の時間から入り、温泉に浸かり、お腹が空くまでつんどくよんどくだった本を読みあさったり、連絡してなかった友人に電話したり、チャットしたり。夕焼けを見に出かけたり、近くの農家さんに野菜をわけてもらったり。蛍を見たり、星を眺めたり、冷えたら温泉入って、とにかくのんびりのんびりしていたのです。もちろん、週明けの仕事のためにカタカタパソコンで資料を作ったり、TO DOリストを整理したりもしました。これがはかどるはかどる。温泉のおかげで、そして知らない土地にただ身を置くということで(これは後に温泉に出かける「転地効果」ということを知りました)、すっきりしていく自分を発見していくのでした。

目には見えない疲れ、それが溜まって胃が痛くなったり、湿疹が出たり。大したことない症状です。でも何かひっかかるような。

目に見えない鎧の重さ、仕事の重圧、人間関係のストレス。根から明るい私でも、やっぱりそういうものは感じていつのまにか蓄積されていたのかなと思います。ヨガもやりました。坐禅も組みました。いろんなひとの啓発本も読みました。でもなんとなく自分のどまんなかに触れられないままいました。それがいとも簡単に、ただ服を脱いで、ちゃぽと浸かるだけで、ま、いっか〜🎵なんていう楽な気持ちになったり、あ、あれはこういう意味だったのかな〜悪いことしちゃったな〜と反省したり。ひらめきもある。眠くもなる。ほぐれていく。ためいき出る。ためいきが、湯けむりにふわわわっと消えていくのが、見えました。ああ、大したことないんだ。私は大丈夫だ。ちっぽけだ。ちっぽけでいいんだ。そんなぐるぐるとしためぐり。ヨガも坐禅も好きですが、型を組まなくてよくて、ただ浸かるだけの簡単デトックス。そりゃ太古から温泉あったら、入りますわ。天皇も、動物も、武士も農民も。みんな裸になったら一緒だ。

温泉が好きすぎて抱きしめたいけど、抱きしめられなくて、ただただ温泉に私たちが抱きしめられる一方なんですよね。なんて温泉は柔軟なんだろう。勝てやしない笑 それに勝たなくていい笑

こんなふうに、私は、温泉を愛し、温泉に癒され、温泉に元気をもらっています。かつて農民が農業を終えて骨休みのために心身の疲れを癒してきた湯治。都会で働いて温泉で疲れを癒している私は、かつての農民と同じじゃない?とみごとにシンクロしたわけです。そこから湯治女子と自分を名付けるようになりました。

モーレツ激務の中でも、大した病気もせずにいられたのは、日頃からの湯治のおかげかなと思っています。こころとからだ、切り離せない健康を保つための基本要素だ、そう思っています。

(菅野)

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